健康に悪いと分かっているが、麦茶よりフルーツ・オレの方が良い。しかし、普段は麦茶を飲んでいる。とにかく、5500円を稼いで、CDウオークマンを購入しないと、道南バスとか飛行機とかでの移動が出来なくなる。音楽で栄養を吸収していないと、というか、潰していないと移動出来ないのである。自転車の空気入れをホーマックで購入して、後輪タイヤに空気を入れないとパンクする寸前であるから、自転車の空気入れを購入する必要がある。もう、8月も火の車になる事は想定範囲内である。ブログはインターネットで世界中何処からでも見れるという事が素晴らしい。小学校5年生の頃から算数は得意で、入学した中学校の入試問題の類題を中心にテストで出題されていたが、最後の方に意味不明の灘中学校や開成中学校の問題もあった。私が入学した中学校の問題とワンランク次元が違ったので、毎週、名古屋駅の塾で火曜日と金曜日にある、小学校が終わってからのテストではケアレスミスを見付ける時間に当てて、灘中学校と開成中学校の問題には手を付けなかった事を憶えている。ただ、私が2位から5位を継続していた時に1位であった人が、首席で私が入学した中学校に入学した事が印象的であった。その人は38歳で東京大学教授になってしまった。他にも、東京大学理科Ⅲ類に合格した人は、39歳で東京大学大学院医学系研究科の麻酔科で助教授になっていたりする。鉄緑会の会長とか林修とか笠井清登教授の前の東京大学医学部精神科の教授と母校が同じである事は誇りであるが、浦河町から名古屋市へと、統合失調症を患った病人の出る幕ではない事は、伺うまでもない。しかし、精神科の主に統合失調症の分野で、べてるの家が全国規模で有名であるから、その実態を書いて、研究者や精神科医に渡す事が、私に残された人生の命題であるかもしれない。べてるの家の横に建っている浦河教会で7年半の間、生活出来た事は、今でも誇りになっているし、楽しかったし、べてるの家に住んでいた人達の事を懐かしく思い出す。べてるの家では統合失調症の人達が共同で生活をしていた。故佐々木実さんや故横山譲さんを初め、早坂潔さんも良くしてくれた。五味一牧師は浦河教会の2階で水曜日に行われた聖書研究祈祷会と日曜日の礼拝を一度もサボった事がなかった。お金がなかったので、飛行機に乗ったりという事は出来なかったが、向谷地生良さんが全国を股に掛けて行っている講演会のテープ起こしなんかは、午前1時を回るのは当たり前であった。医学書院のテープ起こしは6時間分をやる事が生き甲斐の様になったが、お金が発生しない事に憤りを憶えていた。音楽は中島みゆきやXJAPANやSMAPやAKB48が良い。浦河教会の神様に守られて、午前3時頃にインスタントのうどんかそばを食べて眠る生活。しかし、眠ろうとしても、車の音がうるさくて、ボーッと音を出す車に起こされたりして起きるという事が、アパートに引っ越す直前の頃はあった。しかし、「その先は?」と聞かれても、「ないですね」というか、最後の書物で良いというのが本音であった。ユダヤ系ドイツ人のアンネ・フランクの記したアンネの日記を越えたと自負した、あの日々。日本統合失調症学会鳥取大会で、私はパワーポイントを使って、笠井清登教授や丹羽真一教授や池淵恵美教授や糸川昌成先生の前で発表した。日本の統合失調症の世界に碑を残す事。この事が、私の生きる糧である。
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