浦河ひがし町診療所で川村敏明先生に診察して戴いている。私は前日の睡眠時間が10時間を越え、ゴムであった。新患の方が入っていたんだろうが、1時間半位待っただろうか。川村敏明先生に診察して戴く事になった。「薬、出して終わり」「ちょっと、待ってもらって良いですか。逝ってやろうと思うんですよ」「何、そんな事、初めて聞いたでしょ」「言うと早坂潔さんとかが、『てめー、このやろー、ふざけんな』みたいなテイストの事を言うじゃないですか。だから、言わない様にしているんですよ」人生に失敗した感のある病気の人は、先に逝っても良いんじゃないだろうか。成功した人が存分に人生の果実を味わい尽くして下されば良いんじゃないだろうか。人生100年時代である。私が旭川医科大学医学部を受験した時の集団面接のテーマは「安楽死と尊厳死について」だったし、無理矢理、生きる意味ってあるんだろうか。抗がん剤をやっているみたいで、私の考え方に反する。海のものなのか、山のものなのか分からなくなってまで生きる事に意味を見出せるだろうか。パートナーが居て、子供が居て、家族が居て、平日はがむしゃらに仕事をして、休日は家族サービスでドライブ。そんな方々が、弱肉強食の社会を勝ち抜いて、『人生100年時代』を満喫すれば良い。旭川医科大学医学部を受験した時の集団面接ではあまり発言出来なかったが、100人の医者が居て、自分が癌になったら抗がん剤をやるという方は一人も居ないのに、何故、癌患者の方を生きるように誘導するかっていう事は難しい問題である。
幻聴さんに紅茶をあげたら幻聴さんの機嫌が悪くなったが、幻聴さんに緑茶をあげたら機嫌が良くなったらしい。「幻聴さんの性格改造法」という事もあるが、「良質の声」にする為に、当事者研究は世界最先端の取り組みである。抗精神病薬で思考力がどんどんなくなって行く。ニューロンのドーパミンD2レセプターが正常に機能しなくなったのは、何故かというと、「そうしないと生きて行きづらいという事に尽きる」らしい。しかし、統合失調症になった方が生きづらいに決まっているではないか。治療や支援を受けて、健常者とは違う文脈で、独自の幸せを目指して、社会モデルが行き届いた地域で、独自の文明を築いて生き延びるしかない。エッセイを書く事によって変わって来る様な、「白い巨塔」みたいな、独自の文明を持った社会の中の方が、まとまっていて、分かり易い様な気がする。東京第二弁護士会の弁護士の方が、「そっち側に救いがある事を確信しているんですね」と言っていたが。こっちの世界では、べてるの家の重要な理念である、「弱さの情報公開」は日常化している。エッセイが評価されて行かないと困るというか、それがあって、ケアをコアスピリットとした会社を目指すなら目指すべきである。なすびはトマトにならない。きゅうりはじゃがいもにならない。社会モデルの中で「緩い白い巨塔」みたいなのじゃないと生きづらいという観点は間違っているだろうか。先天的にコミュニケーションが上手い方が優位になるという社会では勝ち目がないから、ルールの変更を申し立てるという事はおかしいだろうか。「緩い白い巨塔」みたいなのが、「独自の文明」の中にないと、戦争状態からの脱却は不可能である。文化を先鋭させても評価されない社会から、精神障害者でも社会的に価値があると主張するならば、社会モデルで「緩い白い巨塔」の様な構造を作り出す事も一理あるのではないか。
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