私は中学生の頃、その日の授業や書店で購入した参考書や問題集にわからない所があると職員室に質問しに行った。仕事が増えるにも関わらず質問を丁寧に聞いてくれた英語や数学、国語の先生方の事は今でもよく憶えているものである。中学校1年生の終わり頃、国語科教官室に授業が終わってから毎日通っているとある先生が私をこう諭した。「君は今国語の基礎を学んでいる。大切なのは枝葉末節ではなく幹の部分だぞ。細かい所は気にするな、全体を把握出来る様にならないかんぞ」。広く学ぶ事が苦手で深く狭く学ぶ私を、長年の経験で培われた観察眼で毎日、質問に行くと丁寧に教えて下さった先生方の事をよく思い出す。当時、国語科教官室で私に国語を教えて下さった先生方は御存命だろうか、気になるところである。道を逸れ、統合失調症を抱えてしまったが軌道修正し、まっとうな人生にするのに必死である。私は日本統合失調症学会に参加し発表する事になっていた。去年はクリスマスイブの日に私の部屋で向谷地生良さんにインタビューをし動画を撮り深夜までスライド作りをしたが、それを発表する機会であった。懇親会にも参加する予定であったので緊張した。私は中学校1年生の頃、授業が終わると3時過ぎから6時前まで各教科の先生方に質問をして回っていた。しかし、中学校2年生になり友達が作れなくなり孤立するようになってしまった。中学校2年生の夏休みから高校2年生の11月までは勉強らしい勉強はしなかった。大学は入学時のレベルを理想より低くするべきであったが分子生物学を最も良い環境で学ぶ為に東大を目指した。そのハードルはあまりにも高かった。道を大きく逸れ、統合失調症を発症した。それから、向谷地生良さんのもとで当事者研究等を学んだ。私は日本統合失調症学会の1日目に発表させて戴く予定であった。テレビや書籍で紹介され、そういう仲介する媒体なしに直接観るという事が良い記念になるという方々とうまくいくと話をしたり出来る機会である。中学校の頃に授業が終わると職員室で3時間近くわからない所を聞く私に英語、数学、国語を教えて下さった先生方が知ったら褒めて下さるだろうか。統合失調症という病気の抗精神病薬は一生服用しなければならない。浦河べてるの家では精神科の病床が一昨年の3月でゼロになり他の地域であれば一生、医療保護入院である方々も何とか地域で暮らしているが、お金がない、仕事が続かない、爆発やリストカットの様な自分の助け方しか出来ない、多飲水が住居でも職場でも止まらない等の現実に向き合っている。日本統合失調症学会では様々な発見を楽しみにしている。
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