睡眠がガタガタ

べてるな日々

11月21日(木)、朝方、一睡も出来ずに文章を綴っていた。11月20日(水)の聖書研究祈祷会は途中で居られなくなって退席をした。午後8時頃、電話を掛けると、山根耕平さんが部屋に来てくれた。「東京プロジェクトが悪いんですよ。早坂潔さんと小川和加子さんが東京プロジェクトをやっていて、それでおかしくなったんですよ。私が亡くなっても、悲しむのは両親くらいです。さっき、お母さんに電話を掛けたんですよ。そしたら、『失敗した。やりたければ勝手にやれ』って言われたんですよ」「やりたければって、何をやったら?」「自分で亡くなってしまう事です」「そしたら、どれだけの人が悲しむの?浅野君の周りに居る人達が、皆、悲しむよね」「何で、障害者年金をもらわないかが分からないし、打ち上げ花火みたいにパッと咲いて終わりで良いです」「周りの人達が悲しむよね」「ところで、岸澤恵美さんって、何で、ニューべてるであんなに大爆発しておいて放っておかれているんですか?」「めっちにも色々あるからね」11月21日(木)の午前10時になって、聖書研究祈祷会の時に、失礼のあった吉田公子さんに説明しようとしたが、吉田公子さんの携帯電話の番号が分からない。ラインでも繋がっていない。その時間は、ニューべてるに居るはずであったから、池上大典さんに吉田公子さんの電話番号を聞く事にした。池上大典さんに電話を掛けた。「池上さん、吉田さんの電話番号を教えてもらえませんか?」「吉田さんに聞いてみますね」池上大典さんは吉田公子さんに、私に携帯電話の番号を教えても良いか聞いた。すると、池上大典さんの携帯電話越しに、「やだ」という声が聞こえて来た。ニューべてるに説明しに行った方が良い。私はすぐに服を着替えて、ニューべてるに行く準備をした。国道245号線沿いの歩道を歩いてニューべてるの2階に到着した。吉田公子さんが居た。私は吉田公子さんに説明する事にした。「皆が喋っていて、それが羨ましかったんです」「じゃあ、私も話し掛ければ良かったね」これだけの事であった。こんな零細企業で、誰が頭なんか下げてたまるかという感じでは駄目である。「東京プロジェクトをやっているのが吉田公子だって?」「吉田さんが喋り続けているのが羨ましかったんですよ」そういう、非常に平易な言葉にするのが、’元祖当事者研究’である。プログラムではSSTをやっていた。再び、小川和加子さんの家に呼んでもらえるかなと、希望を持てたが、べてるの関係者と終生の仲になる事が怖い。眠っている時に見る夢の内容は、殆どが名古屋市で生活する夢になっていた。「名古屋市か札幌市の大学を受験しようかな」夢の中で、私は書店でケーキを食べて、コーヒーを飲みながら、化学の勉強をしている。ニューべてるでは昆布作業をやろうとしたが無理であったので、自転車でツーリングをして来る事にした。自転車のツーリングから帰って来て、セブンイレブン浦河築地店に入店すると、「6時にも来た。これが潰れると、私達も全滅する」と、店員の人が言っていた。前日は一睡も出来ていなかったので、この日に眠れないとマズかったので、睡眠薬の頓服薬を服用して、午後8時前に眠った。11月22日(金)、起床したのは午前11時であった。コンスタントに8時間睡眠を続けるという事が課題であったが、ある日は0時間睡眠で翌日は12時間睡眠で翌々日は1時間睡眠という感じになってしまった。

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