「統合失調症で、過去に色々あって、札幌医科大学医学部から精神科医になれば、凄いぜ」みたいな感じであった。しかし、代々木ゼミナール札幌校で授業を取っていたが、札医大英語は難しかった。札医大数学はセンター数学対策みたいで、どんどん進んで行ったが、英語が分からなかった。「数学と物理だけじゃん」という感じであったが、計画上は英語と化学も出来る様になるはずであったが、特に、英語が出来なかった。しかし、札幌市で数学の勉強をしていた頃よりも、べてるの家の事を綴る日々の方が楽しかった。浦河教会に7年半の間住んだが、私は幸せであった。早坂潔さんは、「タコライス」とか「はんかくさい者め」とか言っていたが、札医大に受かっていたら、「何て事を言うんだ」って感じだが、無理になって、札幌市に居る意味なくなったから、「別に、タコライスで良いや」という感じであった。社会の裏技を使って、浦河教会で生活していたという感じで、クリスマスイブも大晦日も素晴らしかった。「利益のない所を大切に」ではないが、金欠・病気・過疎で、良い所なんか、どっこもないはずの浦河町であるが、そこに幸せを見出した人達が、べてるの家に居て、その生活を住み込みで記している若者が居るという事で、日本統合失調症学会で東京大学医学部の笠井清登教授に論文を渡したり、統合失調症学会の鳥取大会でパワポで発表するに至った訳である。名古屋大学医学部の学生の3人に1人は、私の高校の出身者であるが、私達の様な精神障害者が「利益のある所を大切に」したら、競争に敗ける。去年は、私の高校出身者のSEA生が東京大学理科三類首席を取ったし、今年は、同じ高校出身者のSEA生が名古屋大学医学部首席を取った。理三は灘と開成と筑駒の鉄緑会のイメージが強いが、私の高校のSEA生が理三首席という芸術を生み出した。「令和の虎」の細井龍さんは前期で理三に落ちて、後期で千葉大学医学部に合格した。「人生というゲームはコントローラーを、ずっと動かしていた方が楽しい」とおっしゃり、美容整形外科医で、ロールスロイス2台と、ベンツも2台所有している。時計も1千万円を超えている代物である。私の友人は名古屋大学医学部出身者が多いが、ベンツを何台か所有している人も居るはずである。日本統合失調症学会で「べてるの家の研究論文」を配りまくっても、細井龍さんにはなれないが、「田舎だから出来ないじゃなくて、田舎だから出来る」の思考で、そこを目指してって、それはちょっと無理だけど、志を高く持って歩みたい所である。統合失調症を治したらノーベル賞だが、それは精神科医の人達に任せる事として、「統合失調症の当事者が、べてるの家で論文を書いて、それが評価されて、どうこうなる」みたいな感じにならないかなという感じである。「利益のない所を大切に」するのである。統合失調症の当事者で、べてるの家の横辺りに住んでいて、過去に色々あってという所にブルーオーシャンがあるはずである。故佐々木実名誉理事長が浦河赤十字病院から退院した時に焼き肉をやった時に青年であった彼等というと、早坂潔さんとか石井健さんとか横山譲さんとか岡本勝さんである。彼等の眼が輝いた瞬間を、向谷地生良さんは憶えている。「金儲けしないか?」と言った時であった。昆布の産地直送販売をやっていた時に、早坂潔さんは3分しか続かなかったから、ウルトラマンと呼ばれた。しかし、販売の仕事に適性があった。「降りてゆく生き方」をしたいと思っている、大都会のサラリーマンは多いはずである。東大大学院医学系研究科の博士で様似に移住した人が居る程、生活し難い大都会から田舎への、「降りる事」に対する切望は強い。名古屋大学医学部を卒業した医者に対抗して、そこには敗けるが、「俺だって、その高校のSEA出身だ」という所で、ブルーオーシャンに糸を垂らして釣りをするのである。私は10月にある当事者研究全国交流集会の副大会長を任された。べてる祭りもあるから活躍して、前夜祭か後夜祭のどちらか一方に参加して、どうせなら、人生というゲームのコントローラーを動かしていたい。細井龍さんみたいな人が来ていたら、チャンスじゃないか。ユーチューブでは、理三生と喋っているシーンが多いし、それが最高芸術であるに違いない。ショパンとかバッハみたいなものである。大学を休学して、世界一周に行く人も居る。愛知医科大学医学部とか藤田医科大学医学部では、男のロマン的に駄目なのである。「理三である事に意味がある」と、細井龍さんは言う。私の通った中学校・高校でのヒエラルキーも、そういう感じであった。細井龍さんはセンター試験が880点であったらしい。それだけあれば、後期で千葉大学医学部に受かる。統合失調症の当事者が、細井龍さんの生活を夢見るというのは良いではないか。人生というゲームのコントローラーを動かしているではないか。
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