カウンセリングや教育の目的は自立である。私は経済的に両親にかなりの部分を頼っているので、食費、家賃、光熱費、水道代を自分で稼ぐという目標があった。出張といっても両親にお金を出してもらって行くというのはどうなのだろうかという疑問がありあまり行っていないが稼ぐ方法が昆布作業と講演のテープ起こしでは経済力が弱い。本を読んでも、論文を書いてもお金にはならない。向谷地生良さんに積極的に出張に行きたいと言えないのは、その辺りの経済力の弱さに原因がある。毎日、朝9時から15時まで仕事がある。金曜日、1週間の仕事を終えてセブンイレブンでカレーライスとカレー味のカップラーメン、三ツ矢サイダーにポテトチップスを買って浦河教会に帰って来ると眼に違和感を憶えたので装用していたコンタクトレンズを外した。コンタクトレンズは円の所々がギザギザになっていたので、鞄の中のビニール袋に入っているはずの2ウィークのコンタクトレンズを探したが新しいのがなかった。新しい2ウィークのコンタクトレンズを買わなければならなかったが前回、浦河日本赤十字病院の眼科に行った時、出してもらえなかった。仕事でも日常生活でも必要なので出して欲しいと頼んだが無理であった。仕方なく私は知り合いに頼んで通信販売でコンタクトレンズを注文したが、病院は怖くて仕方なかった。私は眼鏡を掛けてポテトチップスを食べ、三ツ矢サイダーを飲んだ。机の上には統合失調症の資料が置いてある。帰って来てすぐにストーブを付けたので部屋の中はだんだん温かくなってきたが、ストーブの前で横になって身体を温めた。夕御飯の後、6時30分から教会の2階の礼拝堂でSA(統合失調症を持つ人の自助活動)が行われるので疲れない様に横になっていたが、ストーブに当たっている方の腕が熱くなってしまったので布団が敷いてある所まで行って仰向けになって眠った。夜、眠った時と違い、昼寝をすると目覚めた時、ハッとして何時だろうと時計を見る事がある。浦河町の東町に住んでいた頃は昼寝が癖になっていて、眼が覚めて日が暮れているのに気付いて驚いて、起きれば良いのに心地良いのでまた寝てしまって次に起きた時は夕方を超えて夜になっているという事がしばしばであった。この頃は、起床すべき時間になって、もう少し寝ていたい思いに勝てず2度寝をする事がしばしばであった。高校時代を振り返るとやはり遅刻をしていた。卒業する時にもらった紙面に成績優秀者とクラブ活動で優秀な成績を収めた人と3カ年皆勤、6カ年皆勤の人が表彰されていたが、そこに名前が記載されている人は一人残らず尊敬した。目覚めると、べてるの家で夕御飯を食べる時間を過ぎていて、その時間はアラームを掛けていないので偶然に支配されている為、運が良くなかったと思って身体を起こした。部屋着の黒のジャージの左ポケットに携帯電話を、右ポケットに部屋の鍵を入れて眼鏡を掛けて灯りを消して部屋を出た。べてるの家に入ると高橋吉仁さんがこっちを見ながら腕を組んで立っていて、岡本勝さんは既に夕御飯を終えて部屋に入って横になり、横山譲さんはいつもソファの横にある木製の椅子に座っていて、早坂潔さんはテーブルに両腕の肘から手までを付けて椅子に腰掛けている。最も主に支援して下さるのが新田八重美さんである。「こんばんわー」「こんばんわ」ソファはテレビの横にあり3人が座れる。夕御飯の時間を過ぎていたのでソファに座らずに、御飯を取りに行く。茶色のテーブルが3つ、並んでいる。椅子は14脚。「SA出ますか?」「・・うん」野菜を食べてから味噌汁を飲んで、御飯と鶏肉を一緒に食べる。食べ終わって流しの所に行って食器を洗い箸を自分の箸箱に片付ける。「したら、行って来ます」早坂潔さんはSAに毎週来る。「SAに行って来ます」私も毎週、参加している。教会の2階の礼拝堂はストーブで部屋全体が暖かくなり、白いポットの中のお湯が沸き、コーヒーの粉とクリープ、砂糖が置いてある。私は司会を頼まれ快く引き受けた。8時まで私達はSAを行い、私はべてるの家で投薬を終わらせ部屋に戻った。残っていたポテトチップスを食べ、三ツ矢サイダーを一気に飲んだ。机の上には統合失調症の資料が置いてある。新聞の一面はトランプ政権が発足して初めての日米首脳会談を伝えている。眠くなるまでゆっくり資料を読んでいようと思った。日付が代わる頃、眠たくなったのでシャワーを全身に浴びて抗精神病薬を飲み、布団に仰向けになるとすぐに眠りに就いた。明日は土曜日なのでアラームを掛ける必要がない。1週間の疲れを取る為に昼過ぎまで眠った。
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