そうこうしていて7時過ぎ、向谷地生良さんが電話を下さった。羽田空港から新千歳空港に到着され2階のエレベーターの横で待っているとおっしゃった。急いで行くと向こうから向谷地さんが手を振ってくれた。黒の高そうなコートがとても似合っていた。しばらく電話を掛けていたが、すぐ電話は終わり私と同じ年代のべてるのスタッフが合流し駐車場に向かった。車に乗る為に2階のフロアからどんどん国際線の方に3人で歩いて行った。人影はなくがらんとした通路の途中でエレベーターで1階に降りると駐車場があり向谷地さんの車が置いてあった。雪は止んでいたが車は真っ白に雪が被さっていた。フロントガラスが雪で何も見えなくなっていたが向谷地さんは棒の様な物で雪を払い落としていた。毎度の事ながらこれらの行動は絶対に真似出来ないので絶句させられた。荷物を詰め込み浦河に向かう。車内で話をしていたらそれ程長く感じなかった。浦河教会に到着したのは夜の10時半であった。明日の午前中に行われる当事者研究で名古屋市で起こった苦労をさっそく発表する予定であったのですぐにシャワーを浴びて布団に横になる。眠れそうだったが、いつもお世話になっている方々に帰って来た事を報告しようと思ったので、べてるの家に顔を出した。浦河教会の部屋を出てべてるの家に入る。透明のガラスで出来た扉と木製の扉の向こうで40歳過ぎのよく話し相手をしてくれるメンバーが焼きそば弁当を前に座っている。久しぶりに皆の顔が見れる高揚感と拒絶されないかという不安の2つの感情を抱え木製の扉を開ける。「よう、帰って来たか!」。不安は徐々に安堵の気持ちに変わっていく。ちゃんと、帰って来たなぁ。緊張感に支配されていた心が少しずつ温かく解きほぐされる様な感じであった。帰省前、「名古屋市の様な都会に住んでいる方々は幸せそうで羨ましい」とか「皆で集まるのは良いが風邪をうつされるのは嫌だ」といったネガティブな気持ちを抱えた事を憶えている。ソファに座りべてるの家の感覚に浸る。都会での勝ち負けや分かりやすい幸福感覚。浦河べてるの家での生活には、都会で言えば圧倒的に負けている統合失調症の当事者達が、弱さを絆に命懸けの苦労をして見つけ出して来た一般的には幸福とは程遠い所にある様な、現代的でない実に回りくどいが実は現代を生きる人々が大切にしなければならない事が凝縮されている。現代を生きる人々の「幸福とは何か」という問いに密接な関係がある様々な手掛かりが、統合失調症、金欠、過疎という不幸のキーワードが当てはまる所から見出されている。明日は9時頃に起きて当事者研究に行く。その後は昆布作業があるが最後までやらなくても良いので気持ちは楽である。都会のイルミネーションは喧騒を和らげていたが浸っている余裕までは与えてくれなかった。ここで見る夜空は星がキラキラ光っていて綺麗である。アラームをセットして布団に入る。一人身の生活も悪くはない。
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