社会福祉士の講演会が浦河町立総合文化会館のふれあいホールで開催されて、その後は、レストラン柳で交流会があった。私は講演会の日に、午後6時に浦河教会で友人と待ち合わせをして、国道245号線沿いの歩道を歩いてラーメン八雲に向かった。店の外で待っている人の中に、田中孝治さんと水野琢磨さんの姿があった。皆、考えている事は同じで、3時間の講演会に当事者が参加するっていうのは裏がないと出来ないものである。その後に、友達と一緒に行くラーメン屋さんが楽しみであって、当事者にとって本質的な事は講演会という感じではない。ラーメン屋さんに行く事が目的で、一緒に行く人が横に座っていたら講演会に3時間座っていられたという感じで、講演会の目的は、その後のラーメン屋さんであったりする。4000円払える人達にとっては、レストラン柳の交流会が目的になっただろうが、当事者にとっては参加費が高過ぎるのである。脳内報酬系が作動しないと、何も出来なくなる。向谷地悦子さんとか小川和加子さんとかは分かっていたんだろう。べてる祭りの前夜祭と後夜祭には、向谷地悦子さんがお母さんに電話を掛けてくれて、4000円×2日=8000円を仕送りとは別に支払ってくれて参加出来た。私は直前まで、「2食に8000円を掛ける様な馬鹿な真似は出来ない」と言っていた。私は午後3時から午後6時までの3時間の講演会に午後2時に行ったが、居られなくなったので、アパートの自分の部屋に歩いて帰った。社会福祉士の人向けの講演会なんか興味がなかったから、友人とラーメン八雲に行けて〇であった。人と人が繋がって暖かい空気が流れている。早坂潔さんが言っていた、「俺達の病気(統合失調症)っていうのは、金欠なのよ」という言葉は極論である。人と人の暖かい繫がりを求めている人が沢山居る。大谷地バスターミナルで20代前半位の女性が言っていた。「優しければ、誰でも良い」勿論、御飯を食べていなくて、灯油ストーブが焚けなかったら、仲の良い人達でも喧嘩になる。何処にでもある精神科に見受けられる、「配食して終了」の感じになってしまっている事に疑問を投げ掛けたいという人も居る。べてるの家の流れを知らないと、現在のべてるの家を肯定するのは難しい側面があるかもしれない。「べてるの家で、夜から朝になるまで徹夜で麻雀をやって、そのまま眠らずに、日曜日に浦河教会の礼拝に行っていたからな」ある友人の言葉であった。そういうのが根本にあった。「人って暖かい」これが、べてるの家の根本にあった。「ありのまま」という事にしても、故佐々木実名誉理事長が浦河教会に住んでいて、故横山譲さんや故岡本勝さんがべてるの家に住んでいた頃に実感する事が出来た。その頃の事を、向谷地生良さんは、頻繁に著書に記したり講演会で喋ったりする。
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