向谷地生良さんから電話が掛かって来た。「私、今、東大に居る」高校時代に通っていた塾の高校3年生の夏休みの前期の数学のテキストのタイトルは「東大図形数学」であった。微積を中心に東大の図形の問題ばかりが厳選されていた。後期の数学のテキストのタイトルは「理系数学上級演習」であった。自分の家の、自分の部屋で「東大図形数学」の復習をしていたが、私には難し過ぎて、理解出来なかった。受かってしまったから仕方なくいた一番上のクラスから、一つ下のクラスに下げる事を検討した。塾に電話を掛けて、相談を聞いたりしてくれるおばさんと話をした。「全然、大丈夫ですよ。後期になる前に、前期の復習をしてもらえば、付いて行けます」しかし、前期も後期も理解不可能であった。2学期になって、テストゼミになってから、私の点数は、1回目9点。2回目12点であった。そこでは50点で東大理科一類・二類の合格点。80点で東大理科三類の合格点。70点で慶応義塾大学医学部の合格点という事になっていた。前の席に座っていた女子高生の志望校の欄が、たまたま、眼に入った。「東京大学医学部」斜め前に居た、私の高校を2位で卒業した学生は、38歳で東京大学教授になった。中学校3年生の2学期から高校1年生の夏までアメリカに留学していた学生は、学年を落とさずに、高校2年生になって理系だったのに、3年生で文系になって、東京大学文科一類に現役で合格した。全てを持ち合わせた集団で、私は数学だけは一番上のクラスに居たが、高校3年生の2学期に駿台予備校に変わる事にした。数学は出来たが、トータルの成績で、その塾の学生に付いて行ける気がしなかった。物理の授業で、最初の頃に扱った問題の出展を見ると、「東京大学後期日程」と書かれていた。付いて行ける訳がないと判断した。駿台予備校ではSアルファという、私の高校の学生が多いクラスで、上から15番目位に居る事が出来た。1位が現役で大阪大学工学部に行くくらいのレベルだから、落としまくったから、楽であった。数学以外のセンター対策とかに、力を入れたいと思った。得点の仕方が理系科目に偏っていて、社会とか国語とかが全然駄目であった。社会で取った「倫理」なんかは、70点位しか取れなかった。古文・漢文なんか、酷い有様であった。「理系だから、良いや」みたいな感じで、古文・漢文対策は、中学校時代からしていなかった。センター数学が200点満点中、194点の1問ミスでも、トータルで通用しなかった。東京医科大学を受験した時も、数学は満点であったが、物理・化学が得点出来なかったりした。化学を捨てて、英語・数学を頑張るという、非効率な高校3年生であった。私立大学の医学部なんか、英語・数学・物理・化学しかないんだから、そのレベルを目指していれば、受かったはずであった。私の高校を2位で卒業した人が斜め前の席に居るみたいな、数学ばっかり、そんなに頑張らなくても良かった。
コメント