6月13日(火)、名古屋市に帰省していて、外出から帰って来て、小川和加子さんに電話を掛けた。「今日も浦河赤十字病院の栄養課に行って来たんですか?」「行って来たよ。午前中だけどね。皆、忙しいんだよ」とにかく、何か仕事を頑張らなければならない。仕事を頑張って、給料をもらって、精神的に向上して行く。このプロセスが統合失調症等の精神疾患になると壊れてしまう。私の両親は木曜日と日曜日以外の平日は午前9時から午後8時まで仕事をしている。途中で午後0時から午後2時まで休憩を取っているが、それ以外は歯科医院で仕事をしている。とにかく仕事を頑張って、その上でどうなるかという事は、後で考えれば良い。仕事を楽しんで、結果として給料が入る。私達の様な精神障害者の場合は、何でも良いから、軽作業で良いから、少しでも仕事をする事が、リカバリーに繋がる手っ取り早い道である。「今は仕事が出来ないな」と思ったら、何か人に役に立つ事をする。そうしないと社会から脱落する。名古屋地方裁判所を通り掛かった時に、「名大を出て、やりたい放題だわ」と言われたが、もう何か仕事をしていれば、それで良いと思う事にした。というか、何故、名古屋地方裁判所とか、こんな所に立っているんだろうかと言いたくなった。コロナの時代にも、政治家が言っていたが、「手当より仕事だと思います」と言っていた。仕事に没頭するという感覚を、浦河教会に住んでいた時に味わっていた。部屋でやる仕事は、給料は出ていなかったが、仕事に没頭するという事が最高であった事を憶えている。「仕事は最高に楽しいぜ!」と思いながら、毎晩の様に深夜3時まで、テープ起こしとかやっていた。「仕事が生き甲斐です」という人に近づこうとしなければならない。文章を書く事は仕事としては簡単であるが、「趣味じゃなくて、仕事だ!」と全力で抵抗した。大体、勉強時間とかにしても、平日の学校のある日は、それ程、差が付かない。夏休み・冬休み・春休みに差が付くのである。やらない生徒はゼロ時間で一日を終える所を、やっている生徒は、10時間とかやっているものである。本当に憎き名古屋地方裁判所と名古屋高等裁判所を通ると、「名大を出て、やりたい放題だわ」の後に、腹立つ事を言っていた様な気がした。しかし、もうグチャグチャになっても仕事をしてやると思った。
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