ニューべてるのミーティングは、月曜日の午前中が当事者研究で、木曜日の午前中がSSTで、金曜日の午前中が金曜ミーティングであるが、欠席しているのは、聞こえづらいからである。ミーティングに参加しても、イライラして、瞑想しているだけである。一緒に夕御飯を食べている人で、テレビのニュースの情報をパパパッと拾って行かれて、コメントを言われたりすると、腹が立ってしまう。出来る事と言ったら、コロナの解説動画とかのテープ起こしをする事だろうか。音声を流していても、イライラして来て、集中力が続かないし、記憶も出来ないが、文字にして行くと、少しくらい記憶は出来る。しかし、ここ数週間は、テープ起こしは20分位で飽きてしまう。昨日の夜は、深夜2時から物理の勉強をしていた。しかし、それでは、社会の情報が入って来ない。韓国の人達の5つ目の質問に対して、「最近は、月曜日にあった住居ミーティングの時に楽しいと感じました」と答えたが、住居ミーティングで、女性に、「誕生日に200円以内で良いから、花をプレゼントして欲しい」と言われていた事を紹介した。一人で部屋で、テレビを観づらいし、ラジオも聞こえづらいし、ズームも出来ないし、本も読めないと、「私の様な病人は無意味だから死んだ方が良いのではないだろうか」と思う。福祉が行き届いていない地域であれば、間違いなく、そうである。しかし、住居ミーティングでは、統合失調症や双極性障害の様な精神疾患を抱えた人達が温かかった。韓国の人達への当事者研究は、日頃から当事者研究みたいな事をやって来た事とか、過去の経験とか、色々、関係があるんだろうが、統合失調症を抱えていても、注目され、称賛され、スターになった様な気分を味わう事が出来た。統合失調症の症状の事を、当事者が解説する事によって、韓国の人達という、異国の人達から注目されて、称賛されるという事は、当事者研究でなければない。当事者研究をしても、幻聴さんはなくならないが、否定的で攻撃的な内容だったのが、肯定的で友好的で好意的な内容になったという事を聞く。私の場合は、幻聴さんは抗精神病薬を飲んでいれば、聞こえて来ないが、韓国の人達の前で当事者研究をした事によって、どういった変化があるだろうか。統合失調症の人が、べてる祭りの「ぱぴぷぺぽ劇団」で注目を浴びていた時に、その人にこういう一面があったんだと驚くと同時に、羨ましかった。「その人の才能」で片付けてしまいそうになるが、日頃の行いとかを、吟味して、やっと出来上がったのである。韓国の人達から注目を浴びて、称賛されたのは気分が良かったが、私が凄いという事ではない。「皆のおかげ。君の力なんか、一つもない。皆が凄かった」10年以上前の事であるが、川村敏明先生は、精神科外来の時に、繰り返していた事があった。その通りであって、韓国の人達への当事者研究であっても、前日は一睡も出来ていなかったので、突っつかれたら、倒れてしまっていた。気分は良くなったが、テレビやラジオやズームが聞こえづらい事や、本が読めない事に対する解決策を誰かが教えて下さるというものではなかった。「解決策を知る」という事が目的であれば、当事者研究は意味がない。それならば、精神病院の診察室の中で、主治医や看護士やソーシャルワーカーの人と一対一で出来る。3日前の精神科外来の時に川村敏明先生に言われた「〇探し」という事で言えば、韓国の人達という異国の人達に注目されて、称賛された事で◎である。昆布の商品も一杯売れた。売上に貢献した事も◎であった。当事者研究は解決策を探す営みではないのだろうか。だったら、何でやるんだろうか?「結婚したら、どうなりますか?」という養老孟司先生への問いに似ている。「一度、結婚してみろとしか言いようがない」という答えである。「テレビやラジオやズームが聞こえづらいし、本が読めないんです。病気で、しかも、それって・・・。死んで下さい。さようなら、でしょ?」当事者研究の内容は、そんなものであった。浦河町の生涯学習センターは、韓国の人達の拍手が鳴り響いた。
コメント