アンネ・フランクへの道

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アンネの日記を記したアンネ・フランクは、最期に気が狂ってしまう。「こんなに長い遺書を書いたんですか?」と言われる。最期の時を、私なりに暮らしているつもりである。「こんなに長い遺書を本当に書かれたんですね?」と言われるだろうが、私の両親は、サポートして来てくれた。統合失調症は治らない病気である。癌と同じである。死んでも、悔いる事は、別にないのではないか。病気なのである。統合失調症は脳という臓器の病気である。治療薬はない。悔いる事は、別にない。東京医科大学の化学は難しかった。新研究は不可能であった。新演習も不可能であった。難問題系統の解き方とか、やった。やさしい理系数学も面白かった。闘う理系数学は無理であった。SEG出版の問題集は難しい。鉄緑会は名古屋になかった。SEAの物理は出典が慶応大学医学部だ。志望校の欄には省略して、「慶医」って書くんだよな。慶応大学医学部の入試問題は難しいんだ。慶応大学経済学部は英語と文系数学だけであった。アンネ・フランクは正気の時に、アンネの日記を残した。私も正気の時に論文を残した。アンネ・フランクと変わらない。

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