晴天に恵まれた野球場を白球が外野に向かってぐんぐんと延びヒットになった。私は自分が投げた球を打たれる事はあまり悔しくなかった。相手が照準を合わせ易い様にストライクゾーンの真ん中に投げ込み打者がヒットを打ち全体が盛り上がって来るのが嬉しかった。ピッチングを終え3番が回って来ると左中間を抜く様に心掛けてバットを振ったが、ソフトボールは高校の授業の体育でやっていただけであったのでゴロを打ち守備がもたつく隙に塁に出る位しか出来ず、長打もセンターフライになりなかなかヒットを打てなかった。この日はバッティングが不調でありじれったい思いを抱えた。高校時代、1、2年生の2学期の終わりと3学期、そして3年生の体育の時間はサッカー、バレーボール、ソフトボールの3つの競技のどれかを気晴らしで行う事が出来た。中学校・高校の頃はもう少し自宅で勉強をしておけば良かったが、スポーツばかりに打ち込む学生であった。中学校・高校が自由な校風であった上に、両親もあまり勉強しなさいと言わなかったので、大学入試を意識し出した頃は上位の学生との差はどう頑張った所で埋まらない程ひらいていた。ここで暮らしていると当事者研究やSAといったミーティングに出る機会に恵まれるが、精神疾患を抱えた人達が自分の事を語り、仲間の語りに耳を傾ける。そこで私達は豊かさや人間本来の幸福とは何だろうかという問いに向き合う。私達の生きる時代はそういう事を一人一人が考えなければならない時代である。金欠・過疎・病気というどう考えても不幸であるはずの人達が昆布を商品にして売り出し、金儲けをして全国から見学者が毎日の様に訪れ、その度に交流会がひらかれ飛行機に乗って全国に売り込んでいる。社会的地位を確立された人達は、そうではない人達の気持ちを理解しない事があるので近寄りがたいものであるが向谷地生良さんは、統合失調症を抱えた当事者に対しても対応する技術を備えていて、普段は親近感が沸き、当事者の人達が一見失礼な態度を取っても上手く対応されている様子を見掛ける。「向谷地さんは凄いですね。これ程の成功を収めていても当事者の人達への心配りをされていますね」と問い掛けると「私はもう何万件の相談を聞いて来たからね」とおっしゃっていた。私にとっては雲の上のそのまた上の存在で、ソーシャルワーカーとして病院で働き、大学に引き抜かれて教授になられた人である。スーツに身を固めて飛行場に現れる向谷地生良さんは私の憧れの対象である。私は相談事がある時に電話を掛けさせて戴いているが取って下さる時には車を運転されている時がある。新千歳空港からこの町までは車で2時間半掛かる。羽田空港から到着され車が国際線ターミナルの駐車場に置いてあった事があった。季節は真冬、車は雪で埋もれていた。棒でフロントガラスに積もった雪を払い落としこの町まで運転して来られた。ハンズフリーの車内電話は乗っている当事者に聴こえていて、自分が相談の電話を掛けた時に車に乗っている人達が聴いていると思うと気恥ずかしかった。
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